記憶の託しあい


たとえば自分が書いた記事をすっかり忘れているということがよくある。


たまに友人から昔の記事の話をされて「そんなこと書いたっけ」と恥ずかしくなることがあるが、「そんなことを覚えていてくれたのか」と不思議な気持ちにもなる。

最近、こうした記憶の託しあいが、友人関係というもののとても貴重な一面だと思うようになった。

この記事は、GOODCAST・佐藤さんのnoteの「用水路ロマン紀行」という文章にあった屋号の後付けの話と、noteの「生きた証」というコンセプトがとても素敵で、急になにか書きたくなって書きました。

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