
人は、自分の手のひらにあるものに、特別な想いを抱く。
「持つ」とき、それはまだ外の世界にさらされているが、手のひらに移すと、親密さがわいてくる。
モノと自分とが向きあって、ふたりの関係が芽生えるような感覚が生まれる。
小さなころ、石ころを集めたり、おもちゃで遊んだり、クワガタを這わせた記憶がそうさせるのか。
理由ははっきりしないけれど、そういうことがたしかに起きる。
そして手のひらに置いて眺めるのに、バスプラグはちょうどいい。
もしそれが初めてのプラグなら、「自分のモノになった」喜びを感じるだろうし、使い古したひとつだったら、仲間と思い出を語るようなひとときがやってくるかもしれない。
手のひら、タックスルボックス、フィールド。
そしてまた手のひらへ。
この3つの居場所のサイクルのなかで、ひとつのプラグは、自分にとってより強固なモノになっていくのではないか、と思う。