
はじめに
1996年ころだったと思う。
バスブームが起こった。
テレビのゴールデンタイムに芸能人たちが河口湖でバス釣りをする様子が放送されたりした。
ボートに乗った渡辺満里奈がバスを釣って大声を出すと、ずらりと並んだ陸っぱりの釣り人から「うるせー!」と怒号が飛んだ。
そのとき私は中学生で、少し前にバス釣りをはじめてすぐに夢中になり、この番組も録画して何度も見た。
学校の男子みんながバス釣りをしていた。
あれから25年以上、途切れることなくこの釣りを続けてきた。
このライフワークは、あるときを境に世間から批判の目にさらされるようになり、今も肩身は狭まっていく一方だと感じる。
悪者として扱われテレビショーに利用されることや、SNSに書かれる心ない罵声に落胆するとともに、そうした潮流に沈黙で応えるバス業界への不満を長らく抱いてきた。
しかし私ももう若者では決してなく、ぶつぶつと文句をいうくらいなら、バサーとして今の社会とどう向きあうのか、自分のスタンスを言葉にするべきではないかと思うようになった。
書いてみたいという気持ちもある。
まずは、今の日本におけるバスフィッシングの位置づけについて、経緯をおさらいしながらまとめたい。
置かれた状況を正確に把握することを目的とし、それが正しいかどうかの問題は扱わない。
オープンにものを考えるためには、フィールドやルールの正確な理解が重要だと思うからである。
現状の把握にあたって「ブラックバス」と「バスフィッシング」を分けることにする。た
ぶん、そうしたほうがすっきりと整理できると思う。
ここからする話は、私たちバサーにとってあまり楽しいものではなく、読んで暗い気持ちになるかもしれない。
しかし、はじめに書いておきたいのは、そうした現状を受けとめてもなおバスフィッシングを楽しむ道筋を探りたいというのが書く動機であって、結論を先取りして言えば、私はブラックバスを大事に思い、バスフィッシングを大いに楽しむことをこれからも追究しようと思う。
パブコメ回答の素っ気なさ
今年に入って環境省が、「次期生物多様性国家戦略(案)」に対するパブリックコメントを募集した(参考1)。
生物多様性を守るための「日本のロードマップ」だというこの戦略のなかで、バスについてはこんなことが書かれている。
・バスの被害防止、また対策強化のための全国的な指針を2024年までに策定すること
・バスの防除に取り組む内水面漁協の支援をして、内水面漁業被害の拡大防止を推進すること
・漁業権に基づきオオクチバスが遊漁利用されている湖沼においては、関係機関と協力して外来種に頼らない生業のあり方の検討を進めること
つまり、ブラックバスによる被害を減らすための対策を強化していくらしい。
この戦略に対して、Twitterを中心に「バサーの意見もあげなくては」という声が広がりコメントを送った人も多くいたようだ。
私は送らなかった。
少しして環境省から、パブリックコメントに寄せられた意見のまとめと、それに対する回答が公開された(参考2)。
意見のなかにはバサーからと思われる以下のようなものがある。
「水産業にどれほどの被害を及ぼしているかという調査はしているのか」
「在来種の減少は外来魚によるものに限らず、農薬や護岸工等による影響が大きい」
「遊漁利用による経済効果やそれで生計を立てている人々のことを考慮すべき」
これら意見を受けた水産庁の回答は以下のようなものだった。
「ブラックバスについては、専門家会合での議論を踏まえ、特定外来生物に指定し、これまで防除等の対策を進めてまいりました。防除を適切に行うことにより在来種が回復することが確認されており、引き続き、防除や密放流の撲滅等に取り組んでまいります。いただいた御意見は今後の施策の参考とさせていただきます」
この素っ気なさ。
今の日本におけるブラックバスの位置づけがよく表れていると思う。
つまり、バスが在来種に被害をもたらすこと、またその被害を防止したり減らすべきであるということについて、「議論の余地はありません」というのである。
バサーは門前払いにあったといっていい。
この回答は読んで気持ちのよいものではないが、とはいえ驚きや憤りを感じるようなものでもない。
行政がそう応えるからには、その根拠となる手続きがある。
それが回答にもあった「特定外来生物」への指定である。
(参考1)
「次期生物多様性国家戦略(案)」に対する意見募集 (パブリックコメント)及び説明会の開催について(環境省HP)
(参考2)
パブリックコメントの結果
時代の転換(特定外来生物への指定)
先のパブリックコメントの回答にあった「特定外来生物に指定」が、今に続くバス問題のはじまりであり、と当時に、バスにとって行き場を失う決定打となった。
外来生物法の成立は2004年。
翌年の施行にあたって、外来生物のなかでも生態系や在来種、また人間の生活や農林水産業への被害が大きく特に対策が必要な生き物を「特定外来生物」として、重点的に防除の対策をとることになった。
当時、ここにブラックバスが加わるかどうかが社会的な話題になった。
今でも使われる外来魚問題、といった言葉もこのあたりからよく聞くようになったと思う。
バスの指定が大ごとになったのは、バスフィッシングが多くの人口を抱える産業になっていたからだ。
できて間もない法律の運用と、既存の産業が衝突する形になった。
こうした構図のなかで、指定種選定の役割を担う専門家による小委員会には、指定賛成の専門家だけでなく、釣り業界から委員が選出され激しい議論が交わされた。
なお、このときブラックバス指定の理由としては、在来生物への影響とともに、すでに漁業規則で放流がほぼ禁止されていたにもかかわらず密放流と思われる拡散が認められていたことがある。
あとに触れるが、このあたりにブラックバスとバスフィッシングが交差する問題がある。
大臣発言の衝撃が生んだ溝
この委員会で話し合いが重ねられていた最中、大きな出来事が起こった。
当時の小池百合子環境大臣が、委員会のプロセスを骨抜きにする形で突然「バスはまず指定すべき」と発言したのである。
委員会ではバス業界の協力と引き換えに譲歩的な決着も模索されていたというが、この大臣発言を受けて環境省は指定ありきにかじを切らざるをえなくなった。
こうして指定案にバスが名を連ねると、一部の業界人が旗を振り「BASS FUN NET」が立ち上がり、指定回避に向けて業界総力での取り組みがはじまった。
指定に関するパブリックコメントには9万通に及ぶバサーからの指定反対意見が寄せられたという。
しかしその盛り上がりも虚しく、2005年4月22日、閣議決定によってバスは特定外来生物に指定された(施行は6月1日)。
このときの環境大臣の振る舞いに「パブコメを無視した」という批判が今でもされる。
しかし、小委員会のプロセスを骨抜きにしたことも大きなしこりを残したと思う。
委員会メンバーで指定賛成だった魚類専門家も「今後バス業界の協力を得ることが難しくなった」と書き残している(註1)。
政治の横暴によって引き起こされた孤立は、今に至るまでバサーと社会の関係に影を落としているように思える。
(註1)瀬能宏「外来生物法はブラックバス問題を解決できるのか?」(『哺乳類科学』2006年46 巻 1 号に掲載)
※当時、指定賛成の研究者として小委員会メンバーだった瀬能氏(現日本魚類学会会長)の論考。指定までの経緯や、研究者からの問題の捉え方がよく分かる。
新たな基準(生物多様性)
特定外来生物となったバスをめぐる、もうひとつの大きな変化に触れたい。
外来生物法から4年後の2008年に成立した生物多様性基本法である。
生物の多様性を人類の生存基盤を支えるものだとし、これを保全し持続的に利用することを目的とした法律である。
多様性とは、生態系(河川やサンゴ礁や森林など)と、種(地球には3000万種の生物がいるらしい)と、遺伝子(同じ種のなかの違い。メダカなど)の3つに分けられ、これらが様々にある状態を生物多様性と呼ぶ。
それができるだけたくさんあるべし、というのである。
人類はこれら生物多様性の恵み(生態系サービスと呼ばれる)なくして生きていくことはできない。
食料など目に見える恵みはもちろん、水、材料、医薬品など原料、水質浄化や気候の調整役、さらには文化的な価値の提供など、目に見えにくいところ、さらには将来的に有用化される可能性も含めてその恩恵を受けている。
また、このような多様性は、地球上の生物が途方もなく長い時間をかけて命をつないできた歴史の結果として存在しているものであり、一度失うと回復が困難な(もしくは不可能な)、まさにかけがえのないものとされる。
にもかかわらず、生物多様性は、地球上から急速な勢いで失われていっている。
こうした現状への危機感が法整備の前提としてある。
生物多様性の保全は、今は世界的に喫緊の課題として認識され、日本の取り組みも諸外国との関わりのなかで作られている。
バスと生物多様性
ブラックバスなどの外来種対策も、今はこの生物多様性保全の考えのなかに位置づけられている。
先のパブコメ募集に関わる戦略案を見てみれば、そのカバーする範囲がいかに広いか実感できると思う(バスの防除も数多ある対策の一部分である)。
「たかが」100年前に移入されたハイスペックな肉食魚は、古来から育まれてきたこの地の生き物の多様性を脅かす存在だというのである。
特定外来生物指定のころには、「生態系」や「自然環境」などの言葉が定義不明瞭なまま使われ、たびたび「どこまでさかのぼって本来の自然と言えるのか?」「人口の池に外来種なんて考え方はナンセンスでは」などといった疑問もあげられていた。
しかし、生物多様性の観点からは(たとえば水田がそうであるように)、人の手が入った場所であっても、多様性が保全され育まれていることを理由に保全すべき場所、という説明がされる。
バスの特定外来生物指定について、指定賛成の専門家とバス業界とで議論があったことは先に書いた通りだが、生物多様性基本法がより大きな傘として機能する今、少なくとも建て前としては、バス業界への配慮によって保全への取り組みを後退させることは選択肢にならないだろう。
そういった社会的な背景が、先の戦略案の「漁業権」のくだりや、パブリックコメントへの回答の素っ気なさに表れているのだ。
生物多様性は「人のため」
こうした生物多様性保全が「人間にとって必要なもの」という考えであることにも注意を払いたい。
人類が豊かに暮らし、その暮らしを子孫へとつないでいくために必要だというのである。
「バスは悪くないし、原因を作ったのは人間じゃないか」
といった倫理的な考えとは異なる土俵にあるし、そういう意味で、人間の勝手だという批判はある意味もっともでもある。
ただ、途方もなく長い時間をかけて作られてきたこうした多様性を、近代以降の人間社会は急速なスピードで破壊してきた。
その上、このような目に見えにくく、関係が複雑で実証が難しいもの、実利に直結しにくいものは人々の関心も薄い。
また持続的な利用を追求することは、ないがしろにされて続けてきた未来の社会への責任を全うしようとする姿勢でもある。
ここに向かって、「外来種の駆除は人間の勝手」とバサーが声をあげたとき、どのように受けとめられるかは想像がつく。
なお、個人的に、生物多様性が大事だという感覚は、素朴に共感できるものではある。
フィールドによって異なる表情を見せるブラックバスを愛でること。
沢によって変わるイワナの顔つきや斑点の違いを楽しむこと。
もしくは、ルアーの造形やカラーリングなど人工物の微細な違いにも、自然への眼差しと同じように豊かさを感じとること。
こうした感覚も、生物多様性を大事に思う感覚とつながっているように私には思える。
ブラックバスの現在地
ここまで、外来生物法、また生物多様性基本法の大枠をたどった。
今の日本社会のなかでは、ブラックバスは生物多様性を脅かす存在であり、その拡散を止め、漁業被害を防止し、駆除を進めるべき魚であることに疑義を挟む余地はほとんどない。
残念ながら、これが現実である。
賛成か反対か、正しいか誤りか、の前に、現実的にブラックバスはこのような位置づけにある。
私は、バサーとしてのスタンスを考えるにあたり、まずはこの前提をふまえたい。
次はバスフィッシングの現在地を確認する。
そして最後にバサーとしての思いを書いてみようと思う。
(つづく)
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